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マレーシアはハラルで“中所得国の罠”を抜け出せるか

マレーシア、インドネシア、中東諸国など「イスラム諸国」が、経済成長と所得向上によって大きな注目を集めている。中でも、ムスリム(イスラム教徒)を対象とする「ハラル市場」への関心が拡大中だ。

 これを牽引するのが、東南アジア諸国連合(ASEAN)の一員であるマレーシア。同国はハラル産業の発展を国家戦略として位置づけている。ハラル産業とマレーシアの経済戦略についてみてみたい。

公的な認証制度で「ハラル市場」創出を図るマレーシア

 都内で6月24日、「マレーシア・ハラルマーケットに対するビジネスと投資の機会」と題するセミナーが開かれた。

 これはJTBコーポレートセールスが、マレーシア・イスラム開発局(JAKIM)の政府機関「ハラル産業開発公社(HDC、Halal Industry Development Corporation)」と共催したもの。会場には多数の日本人ビジネスパーソンが集まり、関心の高さをうかがわせた。

 まず「ハラル」について確認したい。

 NPO法人「日本ハラール協会」の伊藤健氏は、「ハラルとは『許されたもの』であり、イスラム法において合法という意味のアラビア語」だと説明する。ハラルは人間にとって社会において良いことを指すものであり、食についてはムスリムが問題なく食べることができるものを意味する。

 一方、「ハラム(=許されないもの)」という概念もあり、こちらはイスラム法で不法を意味するアラビア語で、食においてはムスリムが食べることのできないものを指す。

 伊藤氏によると、マレーシア政府はこれまでに、その商品が「ハラルなもの」であることを認証する公的な「ハラル認証」制度を導入している。

 つまり、マレーシアは公的なハラル認証によって商品に「お墨付き」を与えるという制度を構築しているということだ。ここでは、ハラル認証制度に裏打ちされた「ハラル市場」という新しい市場が発達する可能性が生じている。

 マレーシアでは、1980年代から2000年代にかけ、食品だけではなく化粧品や医薬品にもハラル認証の範囲が広がるなど、ハラル認証制度が発展していった。

 一方、認証取得の可否は厳密な審査によって判断される。伊藤氏は「認証を取得するためには、物品の流通経路を生産段階から最終消費段階まで、『ハラル性』を保証する必要がある」と説明する。

 つまり「製品本体」では原材料、製造工程、製品品質、「原料および物流」では輸送方法、原材料保管、原料製造工程、包装材質、製品保管といった各ポイントにおいて、ハラル性を保証することが求められる。

 例えば、ペットボトルに入ったミネラルウオーターについて考えてみたい。ミネラルウオーターは、水が原料だが、その製造過程で“ハラルな”フィルターを使っていることが、ハラル認証の取得には必要になるのだという。

 さらに注意が必要なのは豚と豚派生品。これらはムスリムには禁止されているものだが、日本企業は食品だけではなく各種部門で広く用いている。口紅などの化粧品に使われる油脂や、靴などの革製品でも豚派生品が使われる。

 伊藤氏は、「化粧品は動物由来のものを使うとハラル認証の取得が難しいため、すべて植物由来のもので製造するように考えるべきだ」とし、原材料の組み立てを変更する必要性を説く。

 また、サトウキビを原材料とする砂糖は植物由来の製品だが、生産工程には脱色の過程があり、そこでは動物の骨由来の「骨炭」が用いられる。これもどのような動物の骨なのか、あるいはどのように処理された骨なのかといった点などが課題となり、ハラル認証を取得する際の障壁になる。

 このように、厳格に認証審査がなされることから、伊藤氏は「ハラル認証はやわではない」と強調する。

 だが、ハラル認証を得ることにより、製品のハラル性とともに高い信頼性を確保できるため、ムスリム市場に向けた売り込みでは大きな効果があるのだ。

人口・経済力の伸びが著しいイスラム圏

 では、なぜ今、ハラル市場なのか。

 国際開発センターの畑中美樹氏は、ハラル市場が注目される理由として、マレーシア政府が国を挙げてハラル市場の創出を図っていることに加え、世界のイスラム人口の増加やイスラム世界での「イスラム回帰」の動き、原油高を背景とする湾岸諸国のオイルマネーの存在を指摘する。

 現在、世界のムスリム人口は18億人(HDCまとめ)に上る、さらにムスリム人口は2030年には22億人に達するとみられている。

 世界最大のイスラム国家はインドネシアで、日本外務省によれば、同国の総人口は2億4700万人(2012年)。畑中氏によれば、インドネシアのムスリム人口は2億500万人にも上り、同国一国だけでも相当な規模だと言える。

 さらに、多くのムスリム人口を抱える国としてはパキスタン、インド、バングラデシュといったアジア諸国のほか、エジプト、中東諸国などがある。こうした国は、人口規模だけでなく、経済がこれから伸びる余地の大きな新興国として今後の産業発展や消費市場の拡大が見込まれている。

 また、中東諸国ではイスラムの慣行を尊重する動きが強まっており、ここにハラル商品の需要が増える一因がある。さらにオイルマネーの力を背景とする中東の政府系ファンドの世界的な存在感もある。

 人口規模の拡大に加え、経済的な力を高めつつあるイスラム諸国では、ハラル市場が大きく伸びるとみられているのだ。

「イスラムのハブ」目指すマレーシア

 こうした中、マレーシア政府はハラル産業の発展に力を注ぐ。

 ハラル産業開発公社(HDC)のダトスリ・ジャミル・ビディン最高経営責任者によると、マレーシア政府は2006年9月、ハラル産業の発展を促すためにHDCを設立した。政府主導でのハラル産業の開発公社はこれが世界的にみて初の例だという。

 さらにHDCはハラル産業のマスタープランを作成し、2020年までにマレーシアを世界的な「ハラル産業のハブ」とする目標を打ち出している。その一環で、マレーシアはハラル産業専用の工業団地(ハラルパーク)を世界に先駆けて設置している。

 ハラルパークへの投資に当たり企業は税制優遇措置を受けられる。投資分野としては、加工食品、原材料、化粧品、パーソナルケア製品、医薬品などがある。マレーシア国内には現在までに、13カ所にHDCが認証したハラルパークが設置され、ハラルパークへの累積投資額はこれまでに計23億米ドルに上るという。

 投資企業の中には日本や台湾などのアジア企業も含まれる。日本企業では、大正製薬、キユーピー、味の素といった大手企業がマレーシアのハラルパークに進出している。

 このようにハラル産業の発展を促すと同時に、マレーシアはイスラム金融市場の育成に注力するなど、「イスラム産業」の発達を促そうとしている。「イスラム産業のハブ」としての独自性を打ち出し、産業全体の発展を図っているのだ。

「中所得国の罠」からの脱却なるか

 では、なぜマレーシアはハラル産業やイスラム金融を含むイスラム産業の育成を図るのか。

 ひとつの見方としては、マレーシアが以前から指摘されている「中所得国の罠(middle-income trap)」から脱するために、産業の集積や高度化を図るためだと考えられる。

 「中所得国の罠」は、2007年に世界銀行の報告書で示された概念だとされる。

 日本の内閣府は「世界経済の潮流2013年」で、「中所得国の罠」について、「多くの途上国が経済発展により1人当たりGDPが中程度の水準(中所得)に達した後、発展パターンや戦略を転換できず、成長率が低下、あるいは長期にわたって低迷することを指す」と説明する。

 また、世界銀行の2012年11月の報告書「Economic Premise(PDF)」では、「中所得国の罠」に陥る状況を以下のプロセスで説明している。

●「低所得国から中所得国へと移行するように、農業から労働集約型産業、低コスト製造への転換によって国際的に競争できるようになる」

●「輸入技術の利用により、後発開発国は、労働者を農業部門から製造部門へシフトさせることで、生産性上昇を達成する」

●「やがて、転換可能な非熟練の労働力が枯渇するか労働力吸収の拡大がピークに達する」

●「中所得国水準に達することで、都市製造部門の実質賃金が上昇したり、市場シェアを失ったりする。また輸入した外国技術からの利益が減少する」

●「部門ごとの再配置と技術のキャッチアップによる生産性上昇がそのうちに終わり、国際競争力が損なわれ、生産と成長が鈍化し、経済は(中所得国の)罠にはまり、高所得国へと至ることができなくなる」

 マレーシアは、ルックイースト政策を掲げて長期政権を担ったマハティール元首相に象徴されるように、国家主導で工業国化を図ってきた。近年では、情報技術(IT)産業の集積を図るなど、さらなる産業の成長と高度化が目指されている。

 同国は国土面積約33万平方キロメートル(日本の約0.9倍)、人口は約3000万人の中規模国家であるが、民族構成はマレー系、中国系、インド系から成り多様性がある。

 このような中規模国家が国をまとめあげ、経済成長を図る上で、国家主導の開発経済路線が推し進められてきた。1991年には、2020年までに先進国入りすることを目指した「ワワサン2020(2020年ビジョン)」が打ち出された。

 しかし、日本貿易振興機構(ジェトロ)のまとめでは、マレーシアの実質国内総生産(GDP)成長率は2011年が前年比5.2%、12年が同5.6%、13年が4.7%と、5%台近辺で推移している。「1990年代には年率平均7.2%の高成長を記録した」(畑中氏)ものの、近年は成長が鈍化傾向にあることが指摘される。

 こうした中、「2009年に発足したナジブ政権は、労働集約型産業への依存状態では国際競争に打ち勝てないとの考えから、独自の強みを発揮できる産業の振興を目指すことを決めた」と、畑中氏は説明する。

 日本企業にとっても進出余地の大きなハラル市場と、イスラム産業。巨大な人口を誇るイスラム圏は経済成長のさなかにある新興地域でもあり、ハラル産業を押し上げる要素がある。

 こうした中で、ハラル産業はどこまで成長していくのか。そして日本の企業はここにどうやって食い込んでいくのか。また、「イスラム産業のハブ化」がマレーシアの経済・社会にどう影響を与えるのかが、注目される。

JBpress