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偽物ハラルが蔓延する「観光立国」の瀬戸際

“ニセモノが氾濫する国ニッポン”。対応を誤れば、イスラム世界からそういう目でみられかねない瀬戸際に立っているのかもしれない。

ビザ発給条件の緩和をきっかけに、インドネシア、マレーシア、シンガポールなどムスリム(イスラム教徒)が多数派を占める東南アジアからの旅客数が急増している。にもかかわらず、受け入れる側の日本で態勢が十分に整っているとはいえない。

確かに、東京オリンピックの話題とともに、どこかしらの企業が「ハラル対応を始め、認定マークを取得した」という記事を目にするようになってきた。だが今、国内で増殖しているハラルマークには、よく似ているがちょっと違うというものがかなり混じっているようなのだ。

ちょっとの差でも大問題

「ハラル」とはアラビア語の「許されている」「合法の」という意味で、イスラム教の戒律にしたがって作られたものを指す。非ハラルなものは「ハラム」と呼ばれ、忌避される。

ある“ローカル”ハラル認証団体の理事は「大げさに考えることはありません。日本にはハラルなもの、たくさんあります。ちょっとだけ管理をしっかりすればいいのです」と言う。自身を敬虔なムスリムだと称するパキスタン人から、ムスリムでない日本人がそう言われれば、そうなのかと納得しそうになる。だが、それは本当に、すべてのムスリムに通用することなのだろうか。

もちろん、豚やアルコールを口にしたからといって、ムスリムに健康上の被害やアレルギーが出るわけではない。だが、信仰上のことなので、日本人にとっては“ちょっと”の差でも、敬虔なムスリムにとっては大きな問題となる。作為、不作為にかかわらず、それらを提供したとあっては、ムスリムを貶めるだけでなく、宗教を侮辱することにもなりかねない。

こと宗教の問題となると、一企業の対応だけでは済まなくなる可能性も大きい。だが、こうした危険をはらんだ状態でも、日本の諸官庁はハラル認証に関して腰が引けている。

いわく「ハラル認証は製造工程まで踏み込むと聞いている。消費者庁がやっている施策は、あくまで表示規格のみ。業務上の取り扱いの範疇ではない」(消費者庁)、「ハラル食肉の振興を図っているが、あくまで国産食肉の消費拡大策の一環。(国内のハラル認証に関して)指導することは困難」(農林水産省)、「体に異変が生じるなどの問題がないので動けない」(厚生労働省)といったように言説を濁す。

「問題があることは把握しているが、宗教がからんでいることもあり、すぐにどうこうしようという動きにはなっていない。上には提言しているのだが…」と、前述の担当官とは別の農水省の若手官僚はこう悔しさをにじませる。ただ、その若手官僚も「宗教という壁がある中で、果たして的確なガイドラインが出せるのか」と続ける。

何をもってフレンドリーとするか

そんな中、政府のまとめた行動プログラムで、観光庁がハラルに対する取り組みを一歩進め、「ムスリムおもてなしプロジェクトの実施」をぶち上げた。「知れば知るほど奥が深い」と、観光庁・外客受入担当参事官付の丸尾重雄専門官は嘆息する。

たとえば、「ムスリム・フレンドリー」という単語ひとつ取り上げてみても、悩みは深い。多くの場面で「フレンドリー」は、厳格なムスリム対応はできないので、近づけるよう努力はしました、という意味になっている。日本ムスリム協会の徳増公明会長は「“フレンドリー”というから(『信頼できる』という意味で)通常より厳格な基準を指すのかと思ったら違った」と驚く。

安心させる言葉で油断させ、その実態は厳格な基準を守れない提供者に優しい言葉となっているのだ。「だから、観光庁のアクションプログラムの中で、“フレンドリー”という言葉を使うことはやめました」と丸尾専門官は説明する。

ほかにも、豚が入っていないことを知らせるため、豚のイラストを描こうとすると、そのイラストでさえ不快に感じる人がいる、というくらい繊細な問題ということがわかってきた。

ゆえに帰着した結論は、「(ムスリムの考えとわれわれの考えとの)違いをどんどん学んで、正確な情報を発信することに尽きる」(丸尾専門官)というものだ。そのうえで、よく理解もせずに、形だけを整えようとするのがいちばん危険だと警告する。

たとえば、ムスリムの礼拝は1日に数回必要という理解は進んでいると思う。だが、お祈りの前に手足を清めなければならないことは、意外に知られていない。このため、礼拝所だけを完備しても、足を洗える場所を確保しなければ、かえってムスリムに不便をかけることになる。洗面台で足を洗うことにでもなれば辺りが水浸し、ムスリムを迎える側は辟易、ということにもなりかねない。

そもそも国、地域、宗派だけでなく、個人によってもハラルの基準は変わる。旅行中はある程度は許されると、豚肉を食べ、アルコールを飲む人もいる。逆に、戒律を厳格に守り、日本の飲食店では何も口にしない人もいる。何を食べ、何を食べないかは、あくまで個人の裁量に委ねられる。ゆえに、その判断の根拠となる情報を発信すればよいのだ。

「すぐに世界から認めてもらえることはないかもしれないが、日本はイスラム国家ではないのに、ちゃんと誠実に、これだけのことをやってくれていると伝わっていけばいいと思う」(丸尾専門官)

政府が尻込みする政教分離の壁

だが、ハラルビジネスがカネになると見て、ハラルマーク発行団体も“雨後のタケノコ”のように誕生している。その中には、明らかに日本国内のブームに便乗して設立したとみられる団体も多い。

政府は政教分離が原則なので、どこどこの認証団体だったら安心など、個別の団体をオーソライズすることはできない。もとより宗教がからむ問題でもあり、規制はかけられるはずもない。そうこうするうちに、ハラルビジネスに群がる業者は増えていく。

その一方で、観光庁はムスリムの専門家ではないので、正確な情報発信を行うには、どこかのムスリム団体や協会に頼らざるをえない。実際、観光庁や日本政府観光局(JNTO)が後援するセミナーや講演がしばしば開催されている。

だが、たとえば、イスラム国家への輸出が許されないハラルマークを発行している団体が、講師としてハラルの輸出ビジネスの何たるかを講義している。その講義は本当に、実際の輸出に役立つのか。

マレーシアのハラル認証団体ではない、あるローカルハラル団体の理事は、「イスラム圏以外の国では食べ物さえハラルならば、アルコール飲料を売っても、マレーシアのハラル認証は取れる」と断言する。ところが、宗教法人日本ムスリム教会とNPO法人日本ハラール教会の代表者は「とんでもない」と、言下に否定する。

日本ムスリム教会も日本ハラール教会も、ともに日本国内でマレーシア政府ハラル認証機関(JAKIM)とシンガポール政府の認証機関(MUIS)の承認を受けている数少ない団体である。この両団体からハラルマークの認証を受ければ、マレーシアとシンガポールにそのままハラル商品として輸出もできる、“由緒正しい”団体だ。ローカルハラル団体と意見は真っ向から対立しているが、どちらが真にムスリムに“フレンドリー”なのか。

日本で厳格なハラル対応は無理

厳格にハラルに対応しようとすると、たとえば食材を製造する工程はもちろん、運ぶトラックや倉庫までもハラル認証を受けていなければならないとされる。また、たとえば鶏肉でも、屠畜処理されるときにお祈りを上げるだけではなく、エサがハラルだったのか、放し飼いにされていたのか、など厳しい要件がつく。

つまり、そもそもイスラム国家でない日本で、厳格なハラル対応はしょせん無理なのだ。輸出する場合は必須だが、こと国内で提供するものにハラルマークは本当に必要なのか。たとえば、シンガポール政府が認定したハラルマークが貼ってあれば、サウジアラビアの人が安心して食べられるかといえば、そうではない。

あるムスリムは「自分が信頼するハラルマークはすべて覚えていて、知らない、見たこともないマークには近づかない」と言っていた。そうだとすれば、イスラム国家でもない日本だけに通用する、ハラルとは何を指すのか。そのハラルマークで得をするのは誰なのか。

観光庁が進めようとしている、正しい知識の啓発と正確な情報発信は重要なことだ。だが、業者が乱立し、混沌を増している中で、何らかの基準、担保を作らなければ、情報発信、環境整備も“砂上の楼閣”になりかねない。

東洋経済