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英国はなぜイスラム国債を発行したのか

吉田悦章 国際協力銀行 参事役

[東京 14日] – 今年6月、英国政府はイスラム国債を発行した。金額は2億ポンド(約340億円)、期間は5年。この案件は、イスラム金融関係者のみならず、英国内外に「ナンバー10(英国政府)」の政策実行能力の高さをみせつけた。

非イスラム国である英国がなぜイスラム国債の発行に至ったのか。その狙いや背景などについて、そもそも利子が禁じられているイスラム金融における「国債」とは何であるかを含め、幅広い観点から論じてみたい。

なお、イスラム金融方式の債券は、アラビア語を語源とする「スクーク」と呼ばれることが多いため、以下でもそのような表現を用いることとする。

<発行までの紆余曲折>

スクークの発行計画は、実は事前に明らかにされていた。昨年10月、キャメロン首相は、英国で開催されていた世界イスラム経済フォーラムの場において近日中のイスラミック・ギルト(イスラム金融方式の英国債)の発行計画を高らかに宣言した。

実は、筆者はこの計画を半信半疑で受け止めていた。英国政府は2008年にもイスラム国債の発行構想を表明し、それが実現しなかったという経緯があるからだ。

その構想は、12年のロンドン・オリンピックの関連施設建設資金を調達するため、数億ポンドをイスラム国債の発行で賄うというものだった。しかしその後、英国政府は予算に関する公式文書の中で発行計画の断念を発表した。そこでは「検討は今後も進める」とのくだりもあり、この時、筆者はこれを英国人特有のエスプリのきいた言い回しくらいにしか捉えていなかった。

前述の首相によるスクーク発行計画表明にもかかわらず、それを全面的に信じることができなかったのは、計画断念の「前科」があったためだ。他方で、今回は発行実現の目処が立ったからこそ首相による計画表明があった、との勘繰りから、実現を秘かに期待していたのも事実である。

<利子のない国債>

ところで、「イスラムでは教義上、利子が禁じられている」ということは広く知られている。債券も、クーポンとして利子を含む証券であるため、一般に取引されているものはイスラムの教義に反するものとなってしまう。そこで、イスラム金融方式の債券であるスクークは、次のような仕組みなどを用いて、利子の取引を回避している。

まず、国や企業などの真の発行体(=資金調達者)は、形式的な特別目的会社(SPC)を設立する。次に、資金調達者が所有する資産(例えば土地や施設など)をSPCに売却すると同時に、資金調達者とSPCとの間で売却資産に関するリース契約を締結する。資金調達者はリースによりその資産を利用し続ける。SPCは、証券(=スクーク)を発行してそれを投資家に販売する。その代金が、真の発行体にとっての調達資金となる。

期中には、投資家向けにクーポンの支払いがあるが、前述したリース契約に基づき資金調達者からSPCに支払われるリース料が、クーポンの原資となる。このクーポンは、SPCが真の発行体向けのリース取引で得た事業収入の投資家への分配であるため、利息ではなく、イスラムの教義上問題ないものと解される。

以上が、代表的なイスラム債スキームの一つであるイジャラ・スクークの概要である(「イジャラ」とは、リースを意味するアラビア語)。英国政府のスクークでも、庁舎を対象としてこの仕組みが用いられている。また、スクークのクーポンは、通常の国債金利と同じ水準に設定された。

<英国政府の真の狙いは3つ>

それではなぜ、イスラム国でもない英国が、前述のような複雑なストラクチャーを伴うスクークの発行を企図したのだろうか。国際金融センター・ロンドンを擁する英国が、グローバルに成長するイスラム金融を着実に取り込もうとすること自体は不自然な話ではない。

だが、筆者は、それ以外にも3つの狙いがあったとみている。第1に、ベンチマークの形成。AAA格の信用力を持つスクークはこれまでイスラム開発銀行のみだった。スクーク市場全般で適切かつ効率的な価格形成を確保するためには、ベンチマークとしてより多くの高格付スクークが望まれる。

ベンチマークとは、社債発行などの基準となる最高格付の銘柄であり、社債金利の水準はベンチマーク銘柄に金利を上乗せする形式で表現されることも多い。そうしたグローバル市場の期待に応え、なおかつ史上初となるポンド建の高格付スクークの発行により、スクーク市場全体の発展に貢献する目的があった。

なお現在、同様にムスリム比率の低い南アフリカにおいても、市場におけるベンチマーク形成という目的でイスラム国債の発行計画が進んでいる。これにより、同国の国営企業がイスラム圏から資金を調達しやすくなることが期待されている。

第2の目的として、国内イスラム金融機関の保有資産の供給がある。一般に銀行は、低リスクでの投資という目的のほか、流動性不足の場合には売却して流動性を確保する目的で、高格付で流動性の高い債券を保有する。

英国内には6つのイスラム専業銀行があるが、これらの銀行が流動性確保の目的のために保有できる債券はこれまでなかった。通常の英国債(ギルト)では、利子を含んでしまうからである。

イスラム専業銀行が保有できるものとして、1)高格付で流動性が高い、2)為替リスクを負わないようにするためポンド建、という側面に加え、3)イスラムの教義に適っている、という条件が必要であるため、今回のイスラミック・ギルトの発行は、こうした技術的要請にも応える意義も有している。

これは、英国イスラム金融業界を影で支えるものとして高く評価できよう。かつてはシンガポールも、こうした目的のために中央銀行(シンガポール金融管理局)がスクークを発行している。

第3に、英国内に住む200万人以上のムスリムとの協調姿勢を示すことが挙げられる。英国政府が2000年代半ばから積極的にイスラム金融を取り入れてきた背景として、国際金融市場の振興という目的と、国内ムスリムの金融アクセスの公平性確保という2つの側面が、政府自身によって指摘されていた。今回のスクーク発行も、イスラムにフレンドリーな英国をアピールする意味があったと考えられる。

キャメロン政権のこうした目的が如実に表れていたのが、パキスタン系であるサイーダ・ワルシ氏の上級国務相への登用だった。同氏は2010年、ムスリム女性として初の閣僚入りを果たした。政府としても、多様性と親ムスリム姿勢を訴える意味を持つ登用だった。

ワルシ氏は、後に設立されたイスラム金融の英国政府推進機構である「グローバル・イスラム金融・投資グループ」の議長も務め、英国イスラム金融の発展を象徴する存在でもあったが、このほど、英国の対ガザ政策をめぐって上級国務相を辞任してしまった。

いずれにせよ、英国のスクークは、経済・社会・外交など多様な意義を企図して発行されたものと筆者は考える。

折しも、東京金融シティ構想においてイスラム金融の取り込みが叫ばれたり、マレーシアとの金融協力においてイスラム金融の推進が盛り込まれたりするなど、わが国当局にもイスラム金融に前向きな様子がうかがわれる。そうした中で、英国のスクーク発行事例は、技術的な意味でも社会政策的な意味でも、多くの点で参考事例となるだろう。

*吉田悦章氏は、国際協力銀行の外国審査部参事役。ハーバード大学留学を経て一橋大学卒業後、日本銀行へ。国際局、金融市場局、調査統計局などで国際金融市場・制度や日本経済に関する調査に従事。2007年より国際協力銀行にてイスラム金融などを担当。08年より早稲田大学ファイナンス研究センター客員准教授として大学院にて講義。

*本稿は、ロイター日本語ニュースサイトの外国為替フォーラムに掲載されたものです。

*本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。

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